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概要
コトリバコ(子取り箱)とは2ちゃんねるオカルト板怖い話スレッドにて誕生した怖い話。
2005年6月6日にて洒落怖99で作られた。
長編で2005年6月6日~2005年6月8日まで続いた。
コトリバコ
特徴
外観は「20cm四方の木箱、表面は小さなテトリスのブロックらしき木を組み合わせた」。
ブロックの理由は複雑に木の組み合わさった木箱を作ることにより開けられないようにするための細工らしい。
木箱にメスの動物の血を満たし一週間もたせ血が乾く前に釜をする。
中に入っているのは間引きされた子供の人差し指、へその緒と体の一部。これが名前の由来。
呪いの効力は「男は近づいても効力は無いが女子供が近づくと災いがふりかかる」。存在が怨念そのもので保管すれば十年、数十年も恐ろしいことが起きる。
広めたAAは思うことがあるほど恐ろしいもの。
経年劣化はあり箱の中身は年を経るごとに効果が弱まる。
箱の除霊方法は「○を祭る神社(寺ではダメ)」。箱の保管は暗く湿った場所。
箱の種類
箱には種類がある。
生まれた直後の子はへその緒、人差し指、腹の血。7歳の子は人差し指の先と腹の血。10歳の子は人差し指。これらを素材にし閉じ込めた子の数と歳の数で名前が変わる。
箱にはそれぞれ目印がある。
箱の強さが取れるのは110年、140年と箱によって違う。
イッポウ(一封) - 最弱。1人。△。
ニホウ(二封) - 2人。■
サンポウ - 3人。
シホウ - 4人。
ゴホウ - 5人。
ロッポウ - 6人。
チッポウ(シッポウ) - 7人。中に三角。
ハッカイ(八開) - 最強。8人と別の女と子供の合計「10人」。AAが「それ以上はダメだ」と念押ししたほど危険なもので「最初の1個以外は決して来るな」と警告するほど。
歴史
始まり
1860年代後半~1880年代前半に作られた。
かつて△▼の地域からの迫害と差別が特に酷い部落があった。働き手がほしいから子供を作るも給料がなく間引きも行われていた。
1868年隠岐騒動で反乱を起こした1人AAが部落へ逃げてきた。
部落の人々が逃げてきたAAをこれ以上の迫害を拒み殺害を行おうとしたが、AAから「命を助けてくれたら、お前たちに武器をやる」と言い手を止めた。
AAは小箱を見せ飲めるのかと聞かせ部落の人達は飲んだ(AAは「作り方を聞いてからやめてもいい。そして殺してくれてもいい」と投げやり)。
AAは「やり遂げたら自分も命を絶つが、それでもやらなければならないことがある」と言った。
そして、コトリバコの作り方を教えた。
部落の人々はあまりにも恐ろしい作り方を聞いて飲んで武器を手に入れた。
AAは10人を使い最初の箱「ハッカイ」を作った。住民たち自らの手で作った箱「シッポウ」ができた。
実験で女と子供がじょじょに内臓が千切れて箱に触れず周囲にいるだけで死ぬ。
最初の被害
二週間足らずで15人の子供、女1人が死亡(シッポウが使われたもの)。
庄屋に箱を預けたら女子供が血反吐を吐いて苦しみぬいて死亡。
△▼のお偉方は住民から被害を聞いて△▼以外の地域にも伝え今後一切部落へ関わらないようにした。
部落の方も仕事へ行くものもいたが行かなかった。部落は警告で「呪いを再び振りまく」とした。庄屋に送られた箱は部落に返された。
この時点で箱は7つ存在し部落は表向き箱は作らないというも「△▼への恨み」がおさまらなかった。この時点でAAは部落から去り箱の除霊、保管方法を教えた。
13年に渡り箱を作り続けた。作り上げた箱は16箱(一:6、二:2、五:5、七:3、合計:16。犠牲者:56人)。作成にした失敗した箱があったらしく犠牲者はさらに多い。
二番目の被害
11歳の男の子が監視の目を盗んで出来上がったばかりのシッポウを盗み家へ持ち帰ったら子供と女が死んだ。
部落の住民たちは箱を危険に思い代表者5人がMの先祖の神社へ行き処理を頼んだが、当時は箱の強さが強すぎて箱の力を薄めることを提案。
定められたルール
1.決して約束の年数が経たない箱を持ち込まない
2.神社側はよっぽどのことがない限り決して部落へ接触しない。
3.前の管理者が死んだら必ず報告。
4.箱の管理者は1年以内に交代する。
5.箱の管理から逃げ出さない。
6.箱の管理は班分け。班内で箱の話は禁止。
7.箱の年数は110、シッポウは140年と定めた(なぜ定めたのか不明)
現在
Mのじいさん、ひいじいさんが大方の箱を片付けたが「シッポウ」のみ残っている。
内容(要約)
飲み会、コトリバコ発見
読み手のことAは霊感がなく暇な時にまとめサイトを見ている者。
先月あった話を持ってきた。
A、中学からの付き合いで30手前にして霊感のある友人「M」、Mの恋人K、遅れて来たSの4人と飲みに行く。
Sは電話で来週始まる家の納屋の解体に向けて掃除し発見したらパズルにできそうなものを発見したと連絡した。
Sが来たのは40分経過したことだった。Sの車がAの家の敷地に入った時、Mがとつぜん何か言い始めた(A、K、Sはよくあることらしい)。
Sが何か持ってきたと見てMはSへ見せるよう言った。
Sが持ってきたのは20cm四方の木箱で小さなテトリスのブロックのような木が組み合わさった。
Mは「触んなや!」と怒鳴りだしトイレへ行き嘔吐した。吐き終えたMは泣きながら父親へ連絡し「コトリバコを発見した」ことを話した。
Mは中に三角があるとして「シッポウ」と判断。
MはAにカッターか包丁を貸すよう頼み包丁を渡されコトリバコの解体をする。
除霊を開始しSはMの血だらけの血を飲み吐き出し5~6回祝詞を唱え吐き出したものをコトリバコにぶつけた。
除霊が終わり飲み会も終わらざる負えなかった。AがM、S、Kを送った。
8日ほどMは仕事を休み、昨日にAはMへ会った。
コトリバコは父親に渡されて安置されている。M曰くSの納屋にコトリバコがあったのは◎山にある部落があるためとされる。
Mは何度もコトリバコの解体を見ていた。
しかし、Mはコトリバコが恐ろしいものと知っているも詳しいことを知らなかった。
Sの家へ
M、S、K、Aの4人はコトリバコとは何かを聞くためにMの父へ聞こうとしたがMは渋ってしまいS家へ聞くことにした。
Sの家にて4人の他にS父、S母、S婆、隣のおじいさんJが来た(S弟は仕事で不在、S爺は故人)。
そして、納屋解体の出来事が話された。
5月23日、納屋解体にS父が業者を頼んでいた。しかし、Jは解体したらダメだと猛反対。
S父は箱のことかと質問したらJは箱を知らないS父に驚いた。Jは近い内に家族に話さないといけないことがあるとして帰った。
Mが言うにはJの家に本来なら箱が来るらしく管理簿で箱は「T家→S家→J家」の順に1年で回る予定(加えて管理している家に管理して家は管理している家を監視する)。
S爺が死に箱の管理をしていたのがS爺でJへ引き継ぐ予定だったがS父が何も知らないことをいいことにJは教えなかったことをMは指摘した。
箱の供養及び除霊はM神社が行うものらしい。
Jはこのなりゆきを話しS爺が死んだ後、TとJは「コトリバコの恐ろしさを熟知し何も知らないS父に押し付ける、20年後の約束の年が来たらJが納屋に行きM神社へ届ける」ことにした(Tは松江に行った)。
JはS家族に土下座しS両親はわからず、S婆はなぜ納屋に近づいてはダメなのか理解した。
Mの説明
Mはまだ箱が2つ存在しいずれ祓うことになっている。
そして、ここに集まった人々へなぜコトリバコが作られたのか説明した。
恐ろしき反響
あまりの強さからスレッドが何個も作られるほど
まとめたアーカイブ→http://web.archive.org/web/20180914081346/http://blog.livedoor.jp/hako888/